1.
私には願いがある。
この〈関係性〉が今すぐ終わればいいのにと思うのだ。
彼は私の事が好きなのは明確で、それでいて私も彼の事が心から好きだからだ。
この、甘くて切ない両片想いと言う〈関係性〉が、終わればいいのにと思う。
2.
夏が終わるまでが猶予だった。
でも、それじゃ遅すぎるのだ。
そんな待っていたら私の心が保たない。
だからこそ、この〈関係性〉を終わらせる必要があるのだ。
3.
確かにこの〈関係性〉はメリットはある。
お互いが何も考えずに過ごすことが出来ると言うメリットである。
明確な嫉妬や依存をしなくて済むし。けれど、嫉妬や依存がしたい訳では無い。
結局はステータスが違うだけで、中身は変わらないのかもしれない。
4.
私が大学を辞めたのは『彼と一緒に居るため』ではなく、『彼と一緒に居る覚悟を決めたから』と言う所が強いだろう。
大学と言う物に属していても結果としては高卒か大卒かが違うだけで、むしろ無理に進路に悩むくらいなら、モラトリアムを設けた方が良い。
これを言い換えると、自立はする物の彼に身を委ねると言う事でもある。
と言っても彼が既に大学を辞めているのだが。
5.
彼と引き剥がされた私は、時に自暴自棄になっていた時もあった。
今思えば彼の事が大切すぎて、軽くではあるが依存してしまっていたのだろう。
しかし、引き剥がされた事は一定の成果を上げた。彼も私も少しは成長したからである。
けれど、新たな問題も浮上している。
お互いの距離感を忘れてしまい、接し方がわからなくなってしまう時があるのだ。
6.
彼に依存しきらないように気を張っている私はたまに疲れで本音が出てしまう傾向がある。
直接的な言葉では言わない、むしろねじ曲がった言葉ではあるが、私なりの恋のささやきをしてしまうのだ。
そう言う風に彼を挑発するだけ挑発して、私は何がしたいのだろうか。
このままでは彼に嫌われてしまう可能性だってあるというのに。
7.
――あえて言うまでも無いだろうが、私がここに来たのはこの〈関係性〉を終わらせて、恋仲になるためである。
それが私の原動力だった。めったに外に出られなくなってしまった私の、唯一の願いだった。
向かう際、交際に至るまでの『あらすじ』を多少は考えていた訳だが、なんとも消極的なものばっかりだった。
色仕掛けや直接的な言葉ではなく、間接的に詰めていくしか無い。どうしようもない問題だった。
8.
ばかだなあ。
一日を費やして『あらすじ』をメモに取っていたが、結果としてそれは捨てることになった。
彼は私と同類なのだ。どう頑張っても、お互いが一歩を踏み出すことが出来ない臆病者同士なのだ。
私は、彼の『あらすじ』となるものを知らない。だからこそ、怖いのだ。
この家に来てから時々こう思うことがある。いっそのこと、逃げ出してしまえればいいのに、と。
9.
それが出来ないのは自明だった。
彼の事が苦しいほど好きで、離れてしまったらもう私は立ち直れなくなる事くらい容易にわかる。
だから、世間の恋愛の潔さが羨ましく思える事がある。
でも、私達には。当てはまらないのだろう。
10.
この夏、最初に彼を前にした私は、過剰な期待を抱いてしまった。
私は心の何処かで『私の恋は報われる』と思い込んでしまっていたのだ。
でも、そうした期待はほぼ必ずと言っていいほど裏切られるものだ。
これからも生きていく二人として、もうすぐ変わるかもしれないと言う〈関係性〉は率直に言って邪魔でもある。
気を抜くと意識してしまう上、夜は考えたくないのに考えてしまい夜中に目が覚めてしまうものだ。
11.
でも、彼も似たようなことを考えているのかもしれないなとまた過剰な期待をしてしまう。
これが私の過ちであり、愚かな考えなのである。
彼に好かれる努力もして来なかったのに交友関係が維持できているのでは無いかと言う淡い期待があった。
その淡い期待は会った時にすぐに自信に変わったのだけど。
*
12.
今、彼は静かな寝息を立てて眠っている。
私はそれを見つめながら喉を潤すために水を飲んでいる所だ。
時刻は午前一時を回ったところだ。数時間前から雨が降り続いている。
嫌なことを考えてしまうような夜にこの手の雨はありがたい。
夜は静かすぎるのだから。
13.
彼は熟睡しているようだ。それもそうだ、今朝は朝からずっと私に付き合ってゲームをしていた訳だから。
彼の横に腰掛ける。もぞっと寝返りを打つものだからびっくりしてしまうが起こしたわけではなさそうだ。
そっと頭を撫でる。彼を起こさないように、そっと。
そして彼の寝顔を覗き込んだ。これはしばらく起きる様子はなさそうだな、と笑うと私は彼の隣に潜り込んだ。
壁と彼の間が私の定位置だった。狭い空間は落ち着く。小柄な私には収まりが良いのだ。
14.
彼が単に『私の好きな人』で済んだならどれだけ楽だっただろうか。
彼が――私の一部となってしまう前だったら、どれだけよかっただろうか。
何が悪いかと言えば、こいつは本当に弱々しい男なのだ。
だからこそ、私は混乱してしまう。私と同じ一面を持つ人間として、見逃しておけないのだ。
15.
最近彼は私に優しい。
私が大学を辞めたことはまだ言っていないのだが、何かを察したのかそれとも気まぐれなのか。
わかりにくい変化であるが、少しずつ彼は変わっている。心の中の奥底にある何かが、変わりつつある。
決まった時間に朝食を作ってくれるのも、毎日コンビニまでおやつを買いに行くようになったのも、同じタイミングで眠りにつくのも。
私のリズムを正そうとして居るのだろうと思う。
16.
彼がそうした気遣いを見せるのは今までもあった。
決まって私が心に傷を負っているタイミングだ。
彼も心が弱い人間であり、私達は似た者同士と言う事でもあり、時折そう言う節を見せるのであった。
*
17.
彼と夜に出かけた時の話だ。
「ねぇ、ミナト」と酔って上機嫌の彼は言う。
「何?」と私は少し素っ気なく返した。
上機嫌の彼は私の手を取りぶんぶんと振り回した。
「痛いってば」と笑いながら私もぶんぶんと振り回す。
18.
その時、彼は寂しかったんだと思う。
いつもより握る手が優しく、柔らかく。それでいてぬくもりを感じた。
これは、寂しさ故に――恥ずかしさを押し殺すために我慢しているのだと思う。
どうしたものか、と私は苦笑しながら腕を振り回され続ける。
19.
家に帰る最後の曲がり角を曲った時、彼は立ち止まった。
「ミナト」と私の横で囁く。「何?」と私はまた返す。
彼は私の方を向いて「ありがとう」と笑った。
酔っているのか、こいつはと思ったがそうではないらしい。
どうやら彼は、私に惚れているらしい。
20.
彼が〈失恋〉をする少し前の雰囲気と似ていた。
私に対して、本当に遠慮をせず正直に本音で向き合ってきた。
「このまま、二人でさ」と彼が呟く。「一緒にいれたら良いのになって思う」と。
私はその囁きに笑ってしまったのだ。あぁ、そうだよ。私だってそうだ。
「そうだと良いね」と私は返すと「そっけないなぁ」と返される。
そりゃそうだ、最後に決めるのはお前なんだから。
21.
その後、彼は私の頭を撫でるとまた手を取り家に向かった。
なんなんだ、こいつは私の心を躍らせるだけ躍らせて。
ずるい、ずるいじゃないか。
22.
家に帰るなり彼はそのままベッドに倒れ込む。
そりゃそうだ、ビールを二杯とハイボールを一杯、日本酒を一杯、あとなんだったか。
それだけ飲めばまぁ、上機嫌にもなるか。
そんな上機嫌な彼はまた私に話しかけてくる。
23.
「ねぇ、ミナト」と。
私はまた「何?」返す。
「好きだよ」と彼は呟く。
私はびっくりして固まってしまった、数秒。いや数分だったかもしれない。
彼をようやく直視できた頃、彼はもう眠りについていた。寝言だったのかもしれない。
24.
――ずるい。
私だって言いたい。
25.
彼が寝たの事を数回のステップ(頭を撫でたり、頬を突いたり、隣で話しかけたりなど)で確認すると私は彼の頬に口づけをする。
ふふん。ざまあみろ。
胸の高鳴りを抑えながら、私もまた酔いを醒ますために水を飲んだ。
クーラーがまだ効いていないこのジメッと暑い部屋で飲むキンキンに冷えた水は最高だ。
それでも、火照りは収まらない。
26.
彼が起きたのは翌日の昼過ぎだった。
気怠そうに、頭を抱えながら起きてきた。
「おはよう……頭痛い……」とボサボサの頭をかきむしりながら椅子に座った。
「はい、お水」と水を手渡す。「あと頭痛薬もあるから」と指差す。
「ありがとう」と言いながら薬を飲む彼を見ながら苦笑する。
これは今日は一日まったりコースだな。
*
27.
こうして、私の心を乱した存在に私は今日、反撃をしようと思う。
さて、三日間だけ我慢してやる。それまでに、私を納得させてくれ。
叶うも、叶わないも、どっちでもいい。
この奇妙な〈関係性〉に終止符を打って欲しいのだ。
28.
さぁ、私のこの気持ちの膨らみが手遅れになってしまう前に。
どうしようもないくらい、この気持ちが爆発してしまう前に。
29.
一刻も早く、この〈関係性〉が終わりますように。